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無知無知って何?言葉の意味や「無知の知」との違い、活用方法について分かりやすく解説

無知無知って何?言葉の意味や「無知の知」との違い、活用方法について分かりやすく解説

Knowledge-Ignorance

無知無知という言葉を聞いたことはありますか?

この言葉は、かの有名な哲学者であるソクラテスが表現した「無知の知」から派生して生まれた言葉と言われています。

では、無知無知とはどのような意味の言葉なのでしょうか?

 

無知無知の定義

冒頭でも解説したように、無知無知はソクラテスの言葉である「無知の知」からできた言葉です。

そのため、無知無知の言葉の意味を理解するためには、まずは「無知の知」から解説する必要があります。

そこでここからは、「無知の知」の言葉の意味を紐解きながら、「無知無知」の意味についてご紹介していきましょう。

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無知の知の意味

無知の知とは、自分が無知であることを自覚することこそが、真の認識に至ることを表現した言葉です。

ソクラテスは知者であるのは神のみと考え、神に比べると人間の知識や考えなどは無に等しいのだと説いていました。

そんな自分のことを認めることによって、知を愛し求めることができると考えたのです。

 

 

無知無知の意味

無知無知とは、この「無知の知」からできた言葉で、自分が無知であることを知らない人のことを指します。

つまり、無知であることを無知、という意味で、皮肉として使われることが多いです。

もしもある分野の専門家の方が「自分はこの分野について詳しく、多くのことを知っている」と認識している場合には、無知無知と表現することができます。

ソクラテスの考え方で言えば、人間がどれだけ知をつけたとしても神と比較すると無に等しく、それを理解することでもっと知を学ぶことができるからです。

 

無知無知である危険性

無知無知とは、無知の知からできた言葉で、相手を批判する言葉として使われるケースが多いです。

このように悪い意味として使われるのには、要因があります。

そこでここからは、無知無知である危険性について見ていきましょう。

Knowledge-Ignorance

 

固定概念に囚われてしまう

無知無知の人は、自分がまだ無知であることを自覚することができていません。

つまり、すでに多くの知識を保有していると考えているということなります。

そうすると、新しい情報が入ってきた時にも、自分がすでに持っている知識をベースに判断してしまうことになります。

人間は無意識の間に固定概念に囚われてしまっていることも多くありますが、特に「自分は知っている」という認識を持っていると、なかなかその概念を疑うことができず、柔軟な捉え方をすることが難しくなってしまうでしょう。

 

新たなことを意欲的に学べなくなる

無知無知の人のように、すでに自分は多くの知識を保有していると考えている場合、これ以上に新たな知識を得る必要がないと判断してしまいます。

そうすると、自分の頭の中をアップデートすることが難しくなってしまうのです。

特に近年は情報化社会が進み、さまざまな知識や捉え方を簡単に手にすることができます。

しかし、それを得るためには能動的に情報を探さなければいけません。

無知無知の方は、無知の知を実現できている人と比べると、意欲的に情報獲得のために行動することができないケースが多いため、新たなことを学ぶことが難しくなってしまうでしょう。

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他の人から教えてもらうことができなくなる

無知無知の人は、普段から自分はさまざまなことを知っているということを、周囲に表現するケースが多いです。

あえて自分が言葉にしなくても、そのプライドの高さは周りから見れば一目瞭然です。

そうすると、他の人がわざわざ新しい情報を教えてくれるという機会を失うことになります。

反対に、無知の知の方は自分から新しい情報を獲得しようと行動するので、周囲の人の助けを得やすい状態を作ることができるのです。

この差は大きく、結果的には無知の知の人の方が多くの情報を手にすることができるでしょう。

 

 

無知の知の3つのレベル

無知の知には、3つの段階があると言われています。

その3つは、以下の通りです。

 

・自分が知らないことを認識している

・自分が知らないことを認識した上で、その範囲を理解している

・自分が知らないことを認識した上で、その原因を理解している

 

ではここからは、この3つの違いについて見ていきましょう。

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自分が知らないことを認識している

無知の知の最初の段階は、「自分が何も知らない」と自覚することです。

ソクラテスが発した「無知の知」とは、「汝自身を知れ」という言葉に由来してできた言葉です。

つまり、自分自身をより知る第一歩として、自分が何も知らないことを知ることが重要ということです。

最初に自分の無知さを自覚することによって、これから触れるさまざまな物事に対して、より謙虚に学びを深めることが可能となります。

この段階は簡単なように見えますが、これまで無知無知として生きてきた人からすればかなり難しいと感じるかもしれません。

ただ、知らないことを受け入れたからといって、自分の価値が下がるわけではありません。

まずは無知であることを自覚することで、大きく成長することができるため、自分の考え方を少し見直してみるといいでしょう。

 

自分が知らないことを認識した上で、その範囲を理解している

自分が知らないことを自覚したら、次に行うのは無知の範囲について知ることが重要です。

自分が無知だと認識した上で新たに情報を獲得していくと、知っていることと知らないことが出てきます。

この2つを区分して、その範囲についても正しく理解することができれば、より能動的に新しい情報を獲得するために行動することができるのです。

この範囲についてはジャンルや広さはもちろんですが、知識の深さについても認識しておく必要があります。

ある程度勉強をすると、自分はたくさんの知識を持っていると無知無知になってしまいがちですが、その範囲について理解すれば自分が知らない部分が浮き上がってくるでしょう。

 

 

自分が知らないことを認識した上で、その原因を理解している

最後の段階は、自分が知らないことを自覚した上でその原因を理解していることです。

第二段階では、自分が知っていることと知らないことを分類していきました。

まだ知らない新たな情報をきちんと獲得していくためには、どうして自分はその情報について知らないのか、反対に知っていることに対してはどうして理解できているのかを知る必要が出てきます。

では、簡単な事例で解説していきましょう。

日本の首都東京についての情報を、観光本を見ずとも観光を楽しめるほど知っていると仮定します。

ただ、知っている情報は23区のみで、1年前の情報であるという範囲を第二段階で理解したとします。

このような範囲になった要因として挙げられるのは、1年前に東京で観光を楽しんだ際に調べたからです。

このように、自分が情報を知っている原因まで理解することができれば、より知識が深くなっていくでしょう。

 

まとめ

無知無知とは、自分が無知であることを自覚していない人に対して皮肉を込めて呼んだ表現です。

どれだけ自分が新たな情報を獲得していると考えていても、時代はどんどん進んでいきますし、新たな知識も増える一方です。

まずは自分が無知であることを自覚しておくことによって謙虚に学ぶことができますし、周囲の人からも協力を得られる環境を作ることができるでしょう。

自分が無知無知になっていないか、定期的に立ち止まって考える必要があります。